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視点の面白さは秀逸/翻訳はもっと努力を
ビットで宇宙を語るという視点の斬新さに、半分は疑問を感じながらも面白く読んだ。
つまりビットの視点というのは単に解釈の問題なのか、実在論的な意味合いがあるのかいまひとつわからなかったからだ。どうやら単に意味解釈の問題ではないのだろうというところまでは想像がつくけれど、量子論とも絡めながらじっくり読んでみないと、なかなかすっきり納得できるところまでは行かない。
ところで、訳文に多用される「~のである」「~のだ」には少々うんざりする。「のである」は知らない相手を教え諭すという心理的な背景を持つ表現だから、やたら高みに立って「お前ら知らないから教えてやろう」とやられると、まったく辟易する。少し日本語としての配慮、デリカシーもほしい。
ただ訳者の水谷氏、前作の『量子のからみあう宇宙』ではそんなうざったい文体ではなかったのに、一体どうしたわけだろう。1作ごとに表現はよくなってほしいものだ。
また、非常に数字の登場が多い原作だけに、誤訳は完全に排除されているのかも気になる。万全は期されているだろうとは思うが。
ビットで宇宙を語るという視点の斬新さに、半分は疑問を感じながらも面白く読んだ。
つまりビットの視点というのは単に解釈の問題なのか、実在論的な意味合いがあるのかいまひとつわからなかったからだ。どうやら単に意味解釈の問題ではないのだろうというところまでは想像がつくけれど、量子論とも絡めながらじっくり読んでみないと、なかなかすっきり納得できるところまでは行かない。
ところで、訳文に多用される「~のである」「~のだ」には少々うんざりする。「のである」は知らない相手を教え諭すという心理的な背景を持つ表現だから、やたら高みに立って「お前ら知らないから教えてやろう」とやられると、まったく辟易する。少し日本語としての配慮、デリカシーもほしい。
ただ訳者の水谷氏、前作の『量子のからみあう宇宙』ではそんなうざったい文体ではなかったのに、一体どうしたわけだろう。1作ごとに表現はよくなってほしいものだ。
また、非常に数字の登場が多い原作だけに、誤訳は完全に排除されているのかも気になる。万全は期されているだろうとは思うが。
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